河井継之助と渋沢栄一の出会いはあったのか?

2021年02月15日| Keyword Square 松井 俊輔

プロジェクトマネージャー 松井 俊輔

今年のNHK大河ドラマは、明治から昭和初期まで日本の経済界を牽引した、渋沢栄一が主人公です。

肖像が2024年に刷新される新しい一万円札の図柄として起用されることからも、これまで以上に彼の名前や顔が私たちの耳目に触れる機会が増えるのではないでしょうか。ちなみに、千円札は北里柴三郎、五千円札は津田梅子の図柄が使用されます。

渋沢栄一は、日本を代表する多数の会社の設立に関わったことや、日本初の本格的銀行の設立に関わったことから、「日本資本主義の父」や「近代日本経済の父」と呼ばれ、現在でも日本の産業勃興をリードした第一人者としての地位はゆるぎないものです。彼が設立・運営に関わり現在も残る組織として、サッポロビール、三菱重工業、東洋紡、みずほ銀行等々、錚々たる企業や銀行が名を連ねます。

渋沢栄一の業績を調べ始めると、やはり渋沢栄一が設立に関与した新潟の企業の有無が気になるところです。さっそく調べてみました!

 

残念ながら現存しない組織もありますが、現在の新潟市民の生活に密接に関わっている企業が少なくないことに驚かされます。

北越鉄道株式会社 ⇒ 信越本線・直江津 – 新潟間
新潟商業学校 ⇒ 新潟商業高等学校
新潟師範学校 ⇒ 新潟大学教育学部
越後鉄道株式会社 ⇒ 越後線・白山 – 柏崎間
第六十九国立銀行 ⇒ 第四北越銀行
宝田石油株式会社 ⇒ ENEOS株式会社

 

北越鉄道は新潟方面の終着駅を、信濃川を挟んで沼垂側に置くか、新潟側に置くかが揉めにもめ、爆破事件まで起こりました。そして、この騒動の調停に渋沢栄一が尽力した記録が残っています。
「この事件まで渋沢栄一が関与していたのか!」と調べながら私も驚きました。

 

話は変わって、河井継之助を主人公とした映画「峠」も今年公開される予定です。

「なぜここで継之助の話になる?」と不思議に思われた方もいらっしゃると思いますが、少し私の“妄想の世界”にお付き合いいただければと思います。

渋沢栄一と河井継之助は、今年2021年にドラマ・映画で主人公として取り上げられる新潟所縁の偉人であり、それぞれが明治政府と長岡藩で産業振興の牽引を行ったという共通点がありますが、歴史好きなら妄想してしまう「もしかしたら・・・」という接点を見つけたためです。

 

時は黒船来航をきっかけに尊王攘夷の嵐が吹き荒れる幕末、文久3年(1863年)。舞台は佐幕派、勤皇派、脱藩浪士などなど、様々な思いを持った人が集まり、権謀術数入り乱れる江戸。

長岡藩主・牧野忠恭が京都所司代、老中と続けて任じられたため、河井継之助は文久3年1月から藩主を補佐する京都詰め公用人として京都に滞在、そして9月からしばらくの間、江戸詰め公用人として江戸に滞在した記録が残っています。

片や当時、尊王攘夷派だった渋沢栄一は、高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちの企てを理由に追われる恐れがあったため、一橋慶喜(後の15代将軍・徳川慶喜)の側用人・平岡 円四郎の元に身を隠し、しばらく江戸に滞在した後、京都に赴き一橋家に仕官します。

河井継之助の方が12歳年上、そして身分は藩主お目見え格なのに対し、渋沢栄一は一橋慶喜の側用人の家来と、年齢も身分も全く異なるため、通常であれば同じ時期に同じ場所にいたからといって会ったことがあるとは考えにくいかもしれません。

しかし、牧野忠恭が老中、一橋慶喜が将軍後見職と同時期に幕府の要職を務め、幕府としては一時たりとも気を抜けない幕末の時世を考えると、老中と将軍後見職は頻繁に会合を行い、それに伴ってお付きの人もその会合の場に出向き、そこで渋沢栄一と河井継之助がすれ違い程度であったとしても、出会っていた可能性があるのでは?と妄想したくなります。

 

今年注目を浴びる、新潟に関係する2人が、もしかしたら・・・。

 

いろいろ調べましたが、こんな荒唐無稽な仮説を裏付ける資料は見つかりませんでした。しかしながら、誰も思いつかない2人の接点を見つけたようで、ひとり自画自賛しています。

 

また、渋沢栄一と共に東京貯蓄銀行の立ち上げにも携わった外山脩造は、現在の長岡市栃尾地域出身。江戸の昌平坂学問所で研さんを積んだ際、同じ長岡藩士として河合継之助の知遇を得て、師と仰ぎました。戊辰戦争では、河合継之助が負傷した際に傍らに付き添い、行動を共にしたと言われています。外山脩造は河合継之助から「実力のある者が勝つ世の中となる。戦争が終ったら商人になれ」と言葉を残し、この後、渋沢栄一と共に産業振興に尽力することに。

ここにも二人の関係、そして新潟と渋沢栄一の繋がりが…と思うと、なんだかもっと、色々調べたくなりますね。

 

閑話休題。

 

渋沢栄一は面会を求める人には可能な限り直接会い、自分宛に届いた手紙も必ず目を通し、「道理にかなっていること」「国家社会の為になること」であれば自ら進んで力を貸す、というスタンスで様々な事業を支援したとのことです。そういった姿勢が、現在まで続く日本の産業振興の基本を支えているという事実を考えると、感服せざるを得ません。

また河井継之助は財政難であえぐ藩がほとんどの中、農民出身ながら備中松山藩の財政難を立て直した山田方谷に教えを請い、短期間で長岡藩の財政を立て直して、新政府軍と互角に戦えるほどの装備を整えられるまでに藩の経済を安定させました。

 

河井継之助と渋沢栄一が取り組んだ産業振興、IPCは相談対応や各種イベントの開催で、新潟市内のみなさまの一助となるべく取り組んでいます。来たる2月と3月には、「起業」というキーワードが「ちょっと気になる」という方に「できるかも」と感じていただくためのイベント(IPCにいがた未来想像部)も開催いたしますので、お気軽にご参加いただけると幸いです。

渋沢栄一の姿勢を見習い、新潟市の産業振興のためIPC職員一丸となって支援します。

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